2011年7月31日日曜日

"『孤高の人』(Rieko的、パーティー・レポート論。)"

最近読んで、ひさびさ2回読み直してしまった本。
『孤高の人』(新田次郎著)。

ich liebe 紙の頁をめくる触感。

早い時間に目が覚めた、1週間前のとある寒い雨降りの朝、数時間で一気に上巻を読み切って、
(間にもちょっと軽めの本何冊か挟みつつ)
またもや3日連ちゃんでどんより雨降りだった週末最終日の今日、
おなじく数時間で、下巻を一気に読破したとこ。
(ていうかこの本、けっこうシリアスなので、
お天気よくて浮かれてて、脳天気なテンションでハマれる感じじゃ決して、ないのよね。)

小説で、読んでて何度も鳥肌が立ったり、涙が出たの、ひさびさだった。

partyにすら行く気も失せる、この週末のどんよりお天気も、
この小説を読み切るためだったと思えば、ありがたく。



ごくごく大雑把に言えば、
ひとりで山に登ることに人生を賭けている、加藤文太郎という一人の男の物語なんだけど。
この加藤氏が、 よくひとりで「自分はなぜ山に登るのか」って、自問してるのね。
(「・・・なんでそないにマジメなの??」って聞きたくなっちゃう程、不器用なまでに、真摯に。)

で。わたしはなぜだか、
「人は(わたしは)なぜパーティーに行くのか。」
っていうことと重ね合わせながら、読んでいた。


*         *         *


書中で、心に響いた、対照的なふたつのセンテンス。
 
『山は地図で見ても分からない。本で読んでも分らない。写真でながめたものとも違う。
自らの足で登り、自らの眼で確かめる以外に山を理解することはできないのだ。』
(※「山」という単語を、「パーティー」に、置き換えてみて下さい。)


対して、登場人物の園子という女性の台詞。
『ひとりだけで山の美しさをたのしんでいるのはエゴイストじゃあないかしら。
美しいものはみんなに見せてやればいいのよ。
絵でもいいわ、写真でもいいわ、文章でもいいわ、ねそうでしょう、加藤さん。』
(※ おなじく、「山」を「パーティー」に、置き換えてみて下さい。)


"わたしは、なんでこんなに(べつに誰に頼まれたわけでもないのに)懸命に、
パーティーについて、書かずにはいられないのかな??" っていう質問の答えを、
園子が代わりに答えてくれた、気がした。


*         *         *


明日から、8月ですね。

ここベルリンでは、4日ぶりに、お陽様が出そうだよ。 


© Charles Webster